30年にわたる活動の中で何度も話し合いを重ねて確認してきた、「私たちが大切にしたいこと」をまとめました。
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私たちの3つのミッション -「誰も犠牲にしない豊かな社会」をめざして (2014年)
痛みを和らげながら、原因にも目を向ける
アクセスのミッション(使命)は、3つです。
- 貧しい人々が今まさに直面している貧困の痛みを和らげようとする活動(教育、生計面などの支援)
- 貧困の原因を明らかにしながら、貧困をなくそうとする人々を増やすこと
- それら2つを実践し、よりよい社会を創っていく力を、日本人・フィリピン人ともに身につけてもらうために、協力できる場を提供すること
どれか1つ欠けても、貧困をなくすことはできないと考えています。
国境を越えて思いやりあう関係を築く
アクセスの「子ども教育プログラム」は、週350円(年間18,000円)で一人の子どもを小学校に通えるようにする、教育里親制度です。この支援を受けたとしても、その家族がすぐに貧困から抜け出せるわけではありません。しかし、食事さえ満足に準備できないような時であっても、「日本で応援してくれている人がいるんだから、何とか頑張らないと」と感じる人は多く、支援者の存在が心の支えとなっています。
他方、日本の子ども教育サポーターの中には、「フィリピンの子どもたちから届く手紙が励みになり、辛い仕事も頑張れます。」とおっしゃる方もいます。単なる経済援助ではなく、「国境を越えて思いやりあう関係を築くこと」ができればと思いながら、プログラムを実施しています。
貧困の中で生きるとは、次々と問題が押し寄せる毎日を生き延びるということです。私たちNGOにそれら全ての問題を解決することはできませんし、問題を解決していくのは問題の中で生きる人々自身です。そんな中、「希望を持ち、前を向いて生きていこう」と思えるよう支援するのが、私たちNGOの役割だと考えます。
ペレーズの漁獲量減少と日本
アクセスの事業地の1つペレーズ地区の漁師は言います。「20年前は数時間で何キロもの魚がとれた。でも今は、8時間漁を続けてもせいぜい2~3キロだ。」ペレーズ近辺の漁獲量減少の最大の原因は、日本、中国、台湾、韓国などから来る大型漁船による乱獲と言われています。実は私たちは、知らず知らずのうちにフィリピン近海でとれた魚を、日本で口にしているのです。
「より便利で、より安く、より質の高い暮らし」を求める日本のライフスタイルは、見えないところで、ほかの国の人々の生活に影響を与えています。こうした日本のライフスタイルを見直し、どうすれば「誰もが人間らしく幸せに暮らせる世界」、「見えないどこかで誰かを犠牲にしない世界」を創れるのか、考えていく必要があるのではないでしょうか。
「誰も犠牲にしない豊かな社会」をめざして
日本は中流層の多い経済大国から、格差社会に転落しようとしています。貧困問題は南の国の問題だけではなくなり、日本でも子どもの貧困・女性の貧困の問題が深刻化しています。そうした中で、世界の見えない誰かを犠牲にすることなく、例えば私たちが直接かかわっているフィリピンの貧しい人々とともに、より多くの人が幸せを感じられるような社会や世界のあり方について議論し、実践していくことがますます必要になっています。
原始時代のような暮らしに後戻りするのではなく、しかし便利さや物質的な豊かさばかりを追い求めるのでもない。個人の多様な価値観を尊重しながらも困った時は助け合えるような、新しい形の「豊かな社会」「豊かな世界」が必要になっているのではないでしょうか。
アクセスは、経済的な貧しさを克服しながら、新しい形の「豊かな社会」を築こうとする人々が出会い、協力できるような場でありたいと考えています。そうした協力が国境を越えて広がり、希望を持って生きられる人が一人でも増えるように、皆さまとともに活動を創っていきたいと思います。
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目的と道 (2002年)
Ⅰ アクセスの目的
世界は、一握りの豊かな「北」の国と大多数の貧しい「南」の国とからなっている。世界の人口の6%に相当する国が全世界の富の59%を所有する一方、80%の人々は劣悪な居住環境に住み、70%の人は文字が読めず、50%の人は栄養失調に苦しんでいる。
「南」の貧しい国の大半は、かつて「北」の諸国の植民地支配を受け、産業と社会の仕組みを「北」の諸国の都合の良いように作り替えられ、富を奪われ、労働を搾取された。そして植民地支配が無くなった現在でも、この構造は変わっていない。「南」の国々が貧しいのは、その結果であり、「北」の国々が豊かなのはその結果である。
日本もかつて朝鮮・台湾・中国北部を植民地とし、さらなる植民地・支配地を求めてアジア諸国を侵略した歴史を持っている。そして現在も、「北」の国々の一つとして、多数の企業が安価な労働力と資源・市場を求めてアジア諸国に進出し経済活動を行なっている。(その逆、つまり「南」の国の企業が大挙して「北」の諸国の市場に進出している例は、NIES(新興工業地域)の数ヶ国・地域のほかにはない。)
他方、アクセスが支援対象としているフィリピンは、アジアの中で、苦悩する貧しい人々の数の最も大きい社会の一つである。フィリピンもまた、300年におよぶスペインの植民地支配、半世紀にわたる米国の植民地支配を受け、日本に侵略された歴史を持つ。そしてその中で、大土地所有制、モノカルチャーによる大規模プランテーション農業など今なおフィリピン社会の歪みの原因としてフィリピンの大多数の貧しい人々を苦しめ続けている仕組みが作り出され、維持されてきた。
フィリピンの70%の人が貧困線以下の生活を余儀なくされている。彼ら・彼女らは日々の食料を十分口にすることができない。健康な人生を過ごすに足る清潔な住居や衣服を持たず、必要な医薬品も最低限の医療施設を利用することもできず、貧困と疾病の中で短い人生を終えざるを得ない。彼ら・彼女らはまた、労働する意欲と労働する能力を持ちながら働く機会を与えられず、田畑や漁具などの労働する手段を持たない。多くは、最低限の教育を受けることもできず、自らの基本的人権を行使し、生活を改善し、社会を変革していくための力を身に付ける機会を奪われている。
アクセスは、フィリピンのこの最も貧しい人々、すなわち、
- 都市貧困地区に住む住民
- 田畑を所有せず小作人あるいは農業労働者として生きなければならない貧農民
- 漁具を所有しない貧漁民
の3つの層の人々を対象とし、彼ら・彼女らおよびその家族への支援と協力を行なうことをその主要な目的の一つとする。貧しい農民・漁民は都市貧困層の母体であり、貧農民・貧漁民の生活苦・社会的位置が都市貧困層を日々生み出す原因を作っている。
アクセスは、たとえ微力であっても、この三つの層の人々に対して、彼ら・彼女らの、
- 貧困による生活苦との闘いを支援し、
- 人権を獲得しようとする努力を支援し、
- 疾病と闘い、子どもたちに教育を与えようとする努力を支援し、
- 平和を求める努力を支援し、
- これらの問題を解決し、社会を変革して行く為の力を身につけることを支援する。
日本は、フィリピンから見ると「金持ち」の国である。日本政府はODAを通じて大量の「円」を提供し、港湾や鉄道の建設やダム建設・河川の拡張などが行なわれる。だがその結果、多数の都市スラムの住民が立ち退きを強制され、先住民が先祖代代の居住地を追われ、農民が農地と生活の糧を奪われてきたり、あるいは現在も奪われようとしている。そして提供された「円」は、建設や拡張を請け負った日本企業に還流して行き、後には膨大な債務が残る。
首都マニラには日本製の車が溢れ、日本企業の広告塔が立ち並び、日本の商社が開発した工業団地や輸出促進地域では日本企業の工場が稼動し多くのフィリピン人労働者が働いている。だが輸入された日本製品はフィリピン製品を市場から追い出し、輸出促進地域では労働者の権利は認められず、工業団地を建設する為に買収した農地からは小作たちが追い出される。日本商社が購入するための木材が大量に伐採され、洪水を引き起こし、安価なバナナが日本に輸入されているが、バナナプランテーションでは農業労働者が低賃金で働かされている。日本からはゴミや産業廃棄物すらもフィリピンに輸出されようとしている。
多くの日本人が観光やレジャーのためにフィリピンを訪れる。だが、少なくない日本人ツアー客は買春を目的としている。
他方、多数のフィリピン人が、本国で仕事を得られないが故に働き口を求めて日本にやって来、日本で社会生活を送っている。日本で家族を作り、子どもをもうけ、学校に行かせ、生活基盤を日本においている人も数多い。
だが、彼ら・彼女らの労働の多くは「危険な・汚い・きつい」労働であり、日本社会を支える労働に従事しているにもかかわらず、入国管理法は彼ら・彼女らの滞在資格を厳しく制限しているため大半の労働は「不法」であり、そうであるが故にその労働者としての権利はしばしば侵害される。また、住居・教育・保健など基本的人権を享受するための最低限の社会サービスを十分に受けることができていない。また、こうした状況の根底には、日本人の間の、フィリピンを始めとするアジアの人々に対する根強い差別意識と偏見が存在している。
このようなフィリピン(アジアその他の第三世界)と日本との関係はまさに「南」と「北」の関係であり、フィリピン国内の南北関係と結びついて、フィリピン社会で大多数を占める貧しい人々をさらに苦しめる。また日本国内におけるフィリピン人(アジアその他の第三世界出身の人)の置かれている状況は基本的人権の侵害であり、彼ら・彼女らが「健康で文化的な」生活を営むことができない要因となっている。
アクセスは、このようなフィリピンからの視点・社会の最下層の人々からの視点から捉えた、フィリピンと日本との関係・日本社会の在り方を日本の市民に明らかにし、批判し、変革して行くことをもう一つの主要な目的とする。
Ⅱ アクセスの道
アクセスは、当面の支援の対象をフィリピンに集中する。アクセスは、自然災害や戦禍などによる一時的な緊急援助の必要に即応する型の活動を自らの主な任務とするのではなく、また自国政府に対する政策提言を行ない議員や官僚を相手にロビー活動を行なうことによりODA等の使途の改善を目指す型の活動を自らの主な任務とするのでもなく、
- 貧困と無権利の中にあって日々の生活を生き抜いている住民の自主的・自立的努力を支援し、問題解決のための住民自身の力を高めていくための中・長期にわたるプログラムを実施していくこと
- このプログラムを通じて日本の市民がアジアの人々と交流し、ネットワークを作り、日本とアジアとの関係そして日本社会そのものを変革して行くための力を高めて行くこと
を主要な任務とする。
このような方向性の活動を行なうためには、現在のアクセスの限られた力量と諸条件を考慮するとき、当面の支援対象をフィリピンに限定することが必要である。
こうしたアクセスの活動の主体は、フィリピンのプロジェクト現地の住民であり、アクセスの会員である。アクセスは、問題を解決し生活を変革するための現地住民の自主的・自立的・集団的努力を最も重要なものと考え、その中から住民自身のリーダーシップが生み出され、住民の自助・自立のための組識作りに発展し、問題を解決するための力を高めるよう支援し、必要であれば批判する。
アクセスの会員は、アクセスの「目的」の実現のため、自らの意思と能力に応じて何らかの分業任務を担う。すなわち、日本において、周囲の人々にフィリピンの大多数の貧しい人々の現状を伝え、フィリピンから見た日本や日本人の姿を伝え、働きかける。フィリピンの文化や考え方を伝える。日本在住のフィリピン人や他のアジアの人々と日本市民の交流を進め、また彼ら・彼女らの基本的人権を擁護する。これらの活動を通じて、こうした現実を変えたいと願う人々を増やし、自らの周りに組織していき、アクセスのネットワークを拡大していく。
アクセスの会員は、他方、フィリピンに中長期に滞在し、アクセス・フィリピンのスタッフとして働き、プロジェクト地のコミュニティーに入り、住民と共同でプロジェクトを進めて行くことも期待されている。
アクセスは自らを日比の多国籍組識として発展させようとしている。日比の多国籍組識としてのアクセスは、内部に様々な矛盾を抱えている。日本人とフィリピン人、教育を受けたものと教育を十分に受けていないもの、アクセス本部スタッフと現地住民、これらの関係である。アクセスの会員でフィリピンのプロジェクトに参加するものは、これらの矛盾を発展させ、対立ではなく新しい関係を創造していくことが求められる。我々は、そのなかで新たに生み出されるものが、21世紀の国際社会の中で必要とされるものに応えていくことになると確信する。
- 「先進国」日本の市民と「発展途上国」フィリピンの貧しい人々との間には対等でない客観的な力関係が存在する。それはアクセス自身も例外ではない。放置すればフィリピン人スタッフは自らの見解を明らかにしようとしなくなり、日本人スタッフの意見ばかりが通るようなことになりかねない。そうした力関係を見据え、それを固定化するのではなく、対等な方向へ変えていくよう働きかけ続ける必要がある。
- 価値観や文化の違いも存在する。一方的にいずれかの立場を絶対化するようなことはせず、相互に尊重しあった上で、双方が粘り強く相手に働き掛けていく中で具体的に問題を解決していく。そこから新しい共通の価値観や文化が創造され、双方で共有されていくと信じる。
- 「教育」もまた力関係の差を生み出す。教育を受けた者はこのことに自覚的でなければならない。また、教育は人権を守るための最低限の武器である。教育を享受する機会を与えられて来なかった人々に対し、公教育の機会もさることながら、識字教育・スタッフ研修といったプログラムの提供を行なうことが重要である。
- 貧しい人々、とりわけ都市貧困地区の住民は、社会の中で差別され、蔑視されている。毎日の生活は絶望的で、しかも子や孫の代までも続くように思える。その中の意識的な人々の中には、「善意」を掲げてコミュニティーにやってくる「外」の世界の人々に対し不信感を抱く。その「善意」は本物なのか?自分たちと一緒にここで暮らすことができるのか?と。
こうした問いかけに対する答えは、行動で示すほかはない。プログラムを実施して行く中で現地の人々との信頼関係を深めること、たとえ短期間でもコミュニティーに入りそこで生活しながら活動しようと思う人を奨励し、援助すること、等々である。
アクセスの活動は、こうした一人一人の会員の日々の創造的な活動がその生命である。日常的な業務執行機関である理事会-事務局は、そうした一人一人の会員の活動を支援するために活動することを、その最重要の任務の一つとする。
現在的には、次の二点が重要である。
- ボランティア・スタッフ制度の確立。この<目的と道>の内容に沿った、ボランティアスタッフのための研修プログラムの作成と実施。
- 会員の自発的な活動を保障するための、国内およびフィリピンでのプログラムの拡充。
アクセスは、アクセスの「目的と道」に賛同する人であれば誰でもその活動に参加でき、国籍・民族・宗教・政治的信条などによって排除されてはならない。 他方、個々の会員やスタッフは、アクセスの名において、あるいはアクセスの活動の中で、他の政治活動や宗教活動を行なってはならない。そうした活動は、アクセスの外で行なうべきである。
アクセスは、プロジェクトの中でつきあたる問題や「目的と道」に適っている課題で、アクセス単独ではそれらの問題の解決が困難である場合、他のNGOや市民団体、政治団体その他の諸団体と協力しあって問題の解決をめざす。
アクセスは、「政策提言を行ない議員や官僚を相手にロビー活動を行なうこと」を自らの主任務とするものではないが、これは自国政府に対する働きかけの必要を否定したり、こうした活動自体の必要性を否定するものではない。
アクセスは、日本の市民とプロジェクト現地住民との具体的交流を進めるなかで、日本の市民に対し「フィリピンから見た日本」を明らかにし、変革されるべき問題点を提示するよう努める。そうした活動の延長上に政府に対して働きかけるべき課題も存在し、必要に応じて具体的な行動を行なう。
上記のような「道」を取る時、その限界は自ずと明らかである。貧困と基本的人権の侵害と いう結果を生み出す原因-「南」と「北」の関係そのものの、フィリピン国内の社会構造、そして日本国内の社会システム-を直接課題とし、その変革の展望を示すことができていないからである。そのため、アクセスの活動は、原因から生み出される結果に個別に対応するという「道」を取ることになる。一見すれば、そしてアクセスの現在の限られた力量を考えればさらに、これは永遠の徒労にも思える。
だが、認識は行動とともに深まる。このアクセスの「目的と道」は、1988年来の活動のなかで見えてきたものを表現したものであり、現在の活動の具体的な課題と水準を表現したものである。その意味で、我々は原因を探求し続ける。その努力の中でつかんだものを実際の行動の指針として具体化して行く。そして実際の行動で検証されたものをこの「目的と道」の中で繰り返し書き換え、表現しつづける。その主体は、プロジェクト現地の住民であり、アクセスの会員である。この繰り返しの中で、いずれ、プロジェクト現地の住民およびアクセスの会員の総意として原因そのものを取り除くことをアクセスの課題とする時が来るものと期待する。
- この文書は2002年に作成・公開したものです。そのため、統計数値等は当時のものを使用しており、現在の数字と異なる部分があります。また、アクセスの活動のありようも当時から変化し、直面している課題などは当時のままではもちろんありませんが、大切にしている考え方は変わらないため、そのまま掲載しています。
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私たちのめざすもの (2012年)
貧困を生み出す原因を探る
私たちは、発展途上国(フィリピン)の貧困問題の解決に取り組んでいます。生活していくうえで最低限必要な基本的ニーズが満たされていない貧しい人々にモノやサービスを提供し、ニーズを満たしたり、基本的人権が侵害されている貧しい人々(特に女性や子ども)の人権を擁護したりする活動をしています。
同時に、私たちは発展途上国が貧しい原因を探求してきました。貧しい人々の基本的ニーズが満たされなかったり、基本的人権が侵害されたりすることの痛みには、それを生み出している原因があると私たちは考えます。
この痛みと痛みを生み出す原因の関係は、病気にたとえることができるかもしれません。病気の人は身体に痛みを感じます。痛みを感じている人は、痛みを和らげる薬を必要とします。私たちの基本的ニーズを提供する活動や基本的人権を擁護する活動は、痛みを和らげる活動と言えます。でも、痛みを和らげる薬は、痛みの原因をなくすものではありません。原因は相変わらずそこにあり、すぐに別の痛みが現れます。貧困問題でも同じことではないでしょうか。
私たちは、痛みを和らげる活動を行いながら、痛みを生み出す原因を明らかにし取り除くことをめざしたいと考えているのです。
貧困の原因としての近代植民地支配
それでは、発展途上国の貧困は、どのように生みだされ、なぜ現代に至るも無くならないのでしょうか。
私たちは、発展途上国の貧困の原因を、歴史的に形成されてきたものだと考えます。15 世紀末に始まる、近代植民地支配がそれです。当初スペイン・ポルトガル・オランダが植民地を拡大し、その後18 世紀イギリスの産業革命を経て、フランス・ドイツ・アメリカ・イタリア・ロシア・日本各国で産業革命が組織され、資本主義的機械制大工業のもと植民地支配が再編成されました。つまり、資本主義的生産のために必要な原材料を確保するために、また大量に生産される商品の販売市場を確保するために、イギリス以下の列強諸国が植民地を必要としたのです。
私たちが支援しているフィリピンも、16 世紀から20 世紀半ばまで、スペインと米国の植民地となり、第二次大戦中は日本軍に占領されました。植民地支配の下、民衆たちは奴隷労働にも等しい重労働に従事させられ、貧しい生活を余儀なくされました。抵抗するものは拷問され、処刑されました。スペインの植民地支配からの独立を求めて闘い、スペイン軍に捕らえられ処刑されたホセ・リサールが、処刑される直前に書いた詩の一節(上掲「最後の別れ」)は、当時の心あるフィリピン人の祖国を思う気持ちが率直に表現されています。
このような、西欧を中心とする一握りの「北」の国々が、アジア・アフリカ・ラテンアメリカといった「南」の地域を植民地として支配した世界的資本主義システムが、現在にまで至る「南」の国々の貧困の原因だと私たちは考えます。このシステムの結果として、「北」の国々は豊かになり、「南」の国々は貧しくなったのです。
現在も続く、支配の構造
2012 年7 月22 日、フィリピンのマニラ湾岸にあるスモーキーマウンテン(ゴミ投棄場)で、10 人の子どもの母親である一人の女性が射殺されました。彼女は、ごみを拾ってリサイクルショップに売ることで生計を立てている住民たちのリーダーでした。このゴミ捨て場の土地はフィリピン政府が所有しているものですが、政府はその土地を民間企業に売り渡すために、住民たちに立ち退きを迫っていました。住民たちは立ち退きに反対していましたが、殺された女性は立ち退きへの反対をやめるよう幾度となく脅しを受けていました。
2010 年に発足したフィリピン・アキノ政権は、公共投資に民間資本を導入する「官民連携パートナーシップ」を通じて、鉄道・道路・空港・港湾などインフラ整備を進めようとしています。これに対し、日本国際協力機構(JICA)は、2010 年3 月、フィリピン政府との間で、「開発政策支援プログラム」(92 億2000 万円)の円借款貸付契約に調印し、官民連携事業の制度整備の実現等を支援してきました。また、2011 年10 月には、日本の大手都市銀行が50 億ドル(約4000 億円)規模の投資ファンドの一部を、フィリピンの官民連携(PPP)プロジェクトに投融資する意向を表明しています。
そうした中、スモーキーマウンテンが位置するマニラ北港の再開発計画が「官民連携(PPP)プロジェクト」の1つとして、進められようとしています。2011 年1 月には、フィリピンの巨大複合企業で、日本の大手ビール会社も主要株主となっているサンミゲル社が、マニラ北港を運営するマニラ・ノース・ハーバー・ポート社(MNHPI)の株式35%を取得し、約200 億ペソ(約374 億6,500 万円)を投入して北港に一大物流拠点「サンミゲル・シティー」を構築したい考えを表明しました。さらに2012 年2 月、フィリピン政府はMNHPI 社による「マニラ北港湾プロジェクト」を受理しました。149億ペソを投資して、マニラ北港湾を6 年かけて開発・運営する事業で、新品の荷役機械設備の設置およびアップグレードされた情報技術(IT)システムの整備などが行われます。
女性の殺害は、こうした巨額の金が動く中で起こりました。
第二次大戦後、かつて植民地だった諸地域は次々と政治的独立をかちとり、自らの国家を作りました。その後、自分たちの国で生産する資源は自分たちのものであるという資源ナショナリズムが強くなり、例えば石油産出国の支配層は世界的な金持ちとなりました。他方、多国籍企業の投資を受け入れることを通じて輸出産業育成を推進することで、韓国、台湾、香港、シンガポール、近年ではブラジル、インド、中国のように、植民地だった諸国の中から成長の軌道に入る国々も生じました。
フィリピンでも、90 年代以降新自由主義的政策の下、開発の波が押し寄せました。けれども、それは、豊かなものがますます豊かになり、貧しいものとの格差がますます広がるような「開発」でした。大土地所有制に支配される農村はますます困窮し、職を求めて都市に流れてくる人々がスラムを形成します。そして、貧しい中にあっても、基本的人権の実現を求めて立ち上がる人々が、巨大な利権の圧力によって殺されてしまう。形は変われど、豊かな人々が貧しい人々を支配する構造は政治的独立後も変わっていません。
支配の構造を変える
このような支配の構造を変える必要があります。とても大変なことのように思われるかもしれません。でも、実際の動きは既に始まっています。「アラブの春」と呼ばれる北アフリカから中東にかけて広がった民衆の抗議行動は、長期にわたって支配してきた独裁政権を連鎖的に崩壊させました。
その背景には新自由主義の下で蓄積された生活の悪化があります。米国では、オキュパイ・ウォールストリート(ウォールストリートを占拠せよ)運動が、「我々は99%だ」というスローガンを掲げ、大衆的広がりを見せました。最も裕福な1 パーセントが米国の全ての資産の34.6 パーセントを所有しており、次の19 パーセントの人口が50.5 パーセントを所有している(2007 年)という格差の拡大への異議申し立てでした。日本でも、フクシマ原発事故という大きな悲劇のあとでさえ、政府の官僚や電力会社が金儲けを基準として原発を継続しようとしています。まさに、生命と生活の場よりも、金儲けが優先であることを如実に示したわけですが、これに対し全国で数十万の人々が抗議行動に参加しています。
私たちは、貧困問題を解決し、支配の構造を変えるのは、政府や国連機関、企業や金持ちの設立する財団などではなく、世界中の貧しい人たち自身であり、世界中の貧困問題を解決したいと願う一人ひとりの市民であると考えています。日本では、戦後の福祉国家化の中で、貧しい人たちや福祉政策の対象となる人々は、個々に分断され地域とのつながりを失い、社会の周辺に追いやられ、行政に救済される対象となってしまいました。さらに90 年代以降の新自由主義の流れの中で、若年層を中心として貧困層が拡大しました。市場の論理の中で「負ける」ことを余儀なくされ、財政悪化が進む中で救済すらも行われない存在へと追いやられてきました。
貧しい人々、貧しい人々と共に問題を解決したいと望む人々は、自らの力を強くし、ネットワークを作り上げることを通じて、行政に「お任せして文句をたれる」存在から、自分で「引き受けて考え、行動する」主体へと自己形成する必要があります。議員や官僚にお願いするのではなく、議員や官僚を使いまわす主体になる必要があります。市場をコントロールし、もう一つの生産・流通・消費のあり方を創りだす主体になる必要があります。貧しい者、貧困や環境問題やエネルギー問題、世界的な富の配分の不公平の解決を願う者が、国境を越えてネットワークを形成し、共に新しい世界を創り出す事が求められています。
私たちは、微力ながら、国内外の貧しい人々と共に、あるべきオルタナテイブな社会を考え、平和で、基本的人権が実現され、貧困のない社会をめざして活動していきたい、そうした社会の実現を願う世界中の人々と共に歩みたいと願っています。
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私たちの活動の柱 (2010年)
定款では、アクセスの目的を「日本とアジアの市民の相互交流、相互理解、相互支援の事業を行ない、市民のネットワークを組織することによって、貧困から解放され、人権が尊重され、平和が達成されるアジアを創り出すことに寄与すること」と定めています。
この中で、「日本とアジアの市民のネットワークを組織することによって」という部分は、私たちの問題解決に向けたアプローチの方法を示しています。定款が起草されたのは1999 年ですが、その後の活動の発展の中で、この問題解決の方法の部分に関する議論が深まっていきました。現在、私たちは、この方法を具体化するうえで、「エンパワメント」と「地球市民」という二つの考え方を最も大切な要素として捉え、活動の柱としています。
活動の柱1 エンパワメントという考え方
エンパワメントという考え方
私たちは、貧困問題を解決する主体は、貧困問題を抱えている住民自身であると考えます。その上で住民自身が自らを組織し、集団的に自らの抱える問題を解決する力(パワー)を身につけること(=エンパワメント)を支援することが、NGO の主要な役割であると考えているのです。
具体的にはフィリピンにおいて、教育・保健衛生、フェアトレード・マイクロファイナンス・有機養豚、青年育成などのプログラムを通じて、貧しい人々の生活向上を図りながら、プログラム受益者の組織化を行い、プログラムの一部あるいは全部を受益者自身が運営できるようになることをめざしています。また、そこに留まらず、各地域の貧しい人々が構造的に抱える問題(都市スラムであれば強制立ち退きの問題、農村であれば大土地所有制の問題など)にも取り組むことのできる、地域全体をカバーする住民自身によって構成された組織の建設もめざしています。
私たちが、地域の中の最貧層の人々と共に創り出そうとしている、貧しい人々自身の組織(People’s Organization=PO)は、次のような力を持つPO です。
- 民主主義を実践する力
- 事業を運営する力
- コミュニティー内のより貧しく、より抑圧されている人々を優先することのできる力
- コミュニティーの内外を問わず、人権・戦争(支配者による暴力的支配)という諸問題に取り組むことのできる力
- 他のコミュニティー・他の地域・他の国の民衆の貧困・人権・戦争(支配者による暴力的支配)への取り組みに開かれ、連帯することのできる力
- 地方や中央政府と交渉し、場合によっては闘うことのできる力
他方、私たちは、「北」の市民のエンパワメントも、同じようにNGO の重要な役割であると考えています。「南」の貧困問題の原因は、16 世紀以降の植民地支配に始まる「北」による「南」の搾取構造にあります。つまり、「南」の国の貧しさと「北」の国の豊かさとは同じ構造の裏と表の関係にあるわけです。「南」の貧困問題を解決するには、まずは、この搾取構造を今なお再生産している世界的なシステムを変えていく必要があります。そして、そうした世界システムを変えていくためには、「南」の貧しい人々の主体的努力だけでなく、「北」の市民の主体的参加が必要不可欠です。そのために、NGO は「北」の市民もエンパワメントすることを自らの任務とする必要があります。
こうして、アクセスの日本での活動は、特にボランティア活動の促進に重点を置いてきました。その一つの形が支援チームの組織化です。各チームは独自の会議と活動を持っていて、アクセスの目的に沿って自分たちで掲げた課題を達成するために、自分たちで決めたことを自分たちで実行しています。現在、7つの支援チーム・事業部・支部が活動を継続しており、チームメンバーとして登録されているボランティアスタッフの数は60名を超えています。
私たちにとってボランティアスタッフは、私たちの会の維持のために必要な手段=労働力ではなく、日本の市民のエンパワメントの一つの形であり、それ自身が私たちの会の目的となっています。そして、ボランティアスタッフ自身がさらに多くの人々に働きかけ、エンパワメントを進めているのです。
現在チーム活動の主力は京都を中心とする学生たちですが、社会人の組織化や京都以外の支部活動(東京)も進んでいます。今後も、より多くの会員の皆さんに活動に参加していただけるようにしていきたいと考えています。
活動の柱2 地球市民という考え方
もう一つの「地球市民」とは、こうした考え方をさらに一歩推し進めて、貧困や基本的人権・戦争の問題に取り組む際に、「南」の問題は「南」の人々が解決するのであり、「北」の人々はそれを外部から支援するだけであるという考え方ではなく、たとえ「南」の地域で発生している問題であっても、「北」の市民も「地球市民」として「南」の市民と同じように問題に取り組むことができるし、取り組むべきであるという考え方です。例えばフィリピンで事業を行っているアクセスの場合、日本人もフィリピンで変革の主体として活動しうるし、フィリピン人も日本で変革の主体として活動しうる、と考え実践しています。
80 年代以降、グローバリゼーションが急速に進展・深化し、多国籍企業化による資本の「北」から「南」への移動と移民・出稼ぎ労働者の「南」から「北」への移動が歴史的規模で進行しつつあります。1990 年代以降の日本のNGO 活動の発展も、こうした文脈の中にあります。そうした中で、「南」と「北」の市民同士の、政府や企業を媒介としない直接的なつながりが、国境を越えて質・量共に発展しています。日本の社会や政府の問題は日本人の問題、と済ませてしまうことのできない状況が生まれつつあるのです。フィリピンの社会や政府の問題も同様です。
こうした社会背景のもと、「地球市民」という考え方に基づき、アクセスはフィリピンの貧しい住民と日本の市民との直接の協働関係を促進しようとしています。具体的には、スタディーツアーをエンパワメントと地球市民形成のための重要な環としてとらえ、力を入れて取り組んできました。また、フィリピンで日本人インターンを積極的に受け入れ、支援チーム・事業部も、年に1~2度フィリピンのプロジェクト地を訪れ、支援している住民との交流や担当スタッフとの会議を直接行ってきました。アクセスの組織自身も、形式的には日比それぞれの国家の法律に基づきそれぞれの国に法人を組織していますが、実質的には単一の組織として活動を行っています。
こうして、私たちは「南」と「北」で市民のエンパワメントを進めながら、市民のネットワークを拡げ、市民同士の国境を越えた直接の協働関係を発展させることを通じて、貧困問題や基本的人権・戦争の問題を解決しようとしているのです。
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エンパワメントと住民の自立 (2010年)
「エンパワメント」とは、アクセスが貧しい人々の支援をする際、もっとも重視している考え方です。エンパワメントには様々な定義がありますが、簡単に言えば、「人々の持つ潜在能力をひきだし、自ら問題を解決できるような力をつけること」と言えます。
自立支援としてのエンパワメント
貧しい人々の生活状態をよくしたいと思ったとき、支援の仕方にはさまざまな方法があります。1つは、食事を提供したり、着るものを提供したり…今まさに足りていないものを、現物で提供するという支援です。これは短時間ででき、成果もわかりやすい。けれども、こうした支援には、支援に依存し、自分の力で貧困から抜け出そうという努力をしなくなる危険性がつきまといます。
そこで多くのNGOが行っているのが、「問題を解決する手段を教える」という支援です。貧しい農民には、より収穫を得られるような農法を教える。子どもたちには、将来、安定した仕事につきやすくするために、教育の機会を提供する。働きたくても仕事が見つからない人には、商品として売れる品物を作る技術を身につけてもらえるよう訓練する。こうして、それぞれの人が直面している課題について、その課題を解決するための力を身につけられるような支援(エンパワメント)を行うのです。アクセスのプログラムのほとんどが、これに当てはまります。しかし、アクセスはそれだけで終わりたくないと考えています。
「協力する力をつける」エンパワメント
ある子どもを大学進学まで支援し、卒業後に一流企業に就職できたとしましょう。その子は家族のために立派な家を建て、携帯電話やコンピュータを買って、不自由ない生活を実現することができるでしょう。でも、その子が他の貧しい家族については気にかけないとしたら…?フィリピンでは、家族・親戚間での助け合いはとても大切にされていますが、血縁関係にない人々同士が助け合ったり、みんなで協力して問題を解決しようとする姿勢はそれほど強くありません。むしろ、貧しさから抜け出そうと、「家族や親戚のために、他を蹴落としてでも自分はチャンスを掴まなければ」と努力する人が多いといえるかもしれません。
そんな社会の中で、同じ苦労を抱える人々どうしが、力をあわせて共通の課題に立ち向かっていけるようにしていきたい、というのがアクセスの考えです。たとえば奨学生プログラムでは、子どもたちに教育の機会を提供すると同時に、保護者会を組織しています。保護者会では、子どもたちの多くがお腹をすかせたまま授業を受けているという現状をなんとかしようと、保護者が交代で給食を調理し、届けるという活動を始めました。個人では解決できない問題について、共通の課題を抱えた保護者が自らを組織し、協力し合い、問題解決のための取り組みを皆で実施し、継続できるようにしていく。アクセスは、そうした活動に必要な資金を調達し、その事業の運営・組織の運営にあたって必要なさまざまなスキルを保護者が身につけられるよう、サポートをしています。アクセスでは、こうした集団に対するエンパワメントに力を入れています。
もう1 つ、アクセスがめざしているのは、貧しい人々に地域ぐるみで問題を解決しようとする力を身につけてもらおう、ということです。教育や仕事、保健衛生など、特定の分野ごとの事業運営と並行して、地域全体が抱える課題(大土地所有制や、立ち退きの問題など)に取り組める組織をつくることをめざし、活動を行っています。
貧しい生活の中で、十分な教育を受けることができずにきた人々にとって、事業を運営したり、組織として話し合いでものごとを決めたり問題を解決したりするというのは簡単なことではありません。そんな中、アクセスでは保護者会や生産者団体、ヘルスワーカーといった、プログラムごとの受益者によるグループを組織し、日々の活動を通じて、メンバーが事業運営に関するさまざまなスキルを身につけられるようにしているのです。
アクセス・スタッフの仕事は、そうした事業運営をまずは自らやることで手本を示し、その後、徐々にその仕事を受益者に引き継いでいくこと、そして組織運営に関するアドバイスをしたり、相談にのったりするということです。また、子どもや女性の権利についてのセミナーを行ったり、貧困が生まれる構造についての学習会を行うなどして、住民の意識の向上にも力を入れています。
コミュニティ・エンパワメント~地域の問題にとりくむ組織づくり
現在、アクセスが行っているすべてのプログラムのもとで、受益者のグループを組織すること、そしてそれぞれのプログラムを受益者自身が運営できるようになることをめざしています。それが実現したら、それぞれの組織の代表者が集まって、地域の多くの人たちが共通して抱えている問題の解決にとりくむ「住民協議会」をつくっていきたいと考えています。
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事業地選定の考え方 (2018年)
アクセスはフィリピンで貧困削減に取り組んでいますが、よく「どうしてフィリピンなんですか」という質問を受けます。それに対し「日本から近いし、英語も通じるからです」と答えると、少し戸惑ったような顔をされます。それは、「フィリピンがいかに貧しいか」、「フィリピンの貧しい人たちがどんなに大変な環境の中で暮らしているか」という支援の必要性についての説明が返ってくることを想定していたのに、日本人の側の都合が質問に対する答えとして返ってきたことに対する違和感なのではないでしょうか。
事業地選定の基本的立場
アクセスは、貧しさは、その国の人たちだけの問題ではないと捉えています。日本も含めた先進国といわれる欧米諸国により16世紀以降植民地とされたアジア・アフリカ・ラテンアメリカの国々の貧しさは、植民地支配の中で作られ、強制されてきました。発展途上国が貧しいのはそうした近代以降の植民地支配の結果であり、先進国が豊かであるのも植民地支配の結果なのです。
仮にフィリピンの貧困がフィリピンの人々だけに起因する問題なのであれば、フィリピンの貧困は、フィリピンの人たちだけで解決することができる問題だということになります。
しかしながら、フィリピンの貧困問題が、スペイン・米国・日本による近代植民地支配の結果として造りだされ、第二次世界大戦後政治的独立を獲得した今も先進諸国の政治的・軍事的・経済的支配を受けていることの結果だとすると、フィリピンの貧困問題を解決するのは、フィリピン人だけが頑張ればいいということではなく、日本に住んでいる私たち自身の問題でもあるということになります。つまり「日本人自身が貧困の現実をちゃんと知る。フィリピンの問題をフィリピン人の問題だと突き放すのではなく、自分たちの問題だと考え、一緒になってその問題を解決していくこと」が必要になるわけです。
実際にフィリピンは、スタディーツアーで行きやすい。日本人である私たちが実際に現地に行って、いろんな問題を実感し、現実を知ることができる。そしてフィリピンの人たちと一緒になって活動していくには、コミュニケーションがとれたほうがよい。そう考えると、近くて英語が通じるというのは、フィリピンの貧困問題を日本人の問題として捉えるうえで意味のあることになります。
アクセスのこうした考え方は、アクセスが専門家集団をめざすというよりも、一人一人の日本の市民が問題解決の主体となることを支援するという方向をめざしていることに起因しているとも言えます。
客観的必要性と主体的力量のあいだで
このような考え方は、もちろん「日本から遠く、言葉も通じにくい」国へのNGOによる支援活動の意義を否定するものではありません。支援する側の都合だけで支援地を決定してしまうことにより、交通の便の悪い地域が支援から取り残されてしまうといった弊害が生まれることも考慮に入れなければなりません。
しかしながら、支援される側の必要からのみ支援の在り方を論じる姿勢も弊害を招きます。主体的な力量を考慮することなく、例えば交通の便の悪い地域で活動を行えば、コストがかさみ事業を継続することができなくなる可能性がでてきます。市民主体の小さな団体であればあるほど、主体の力量問題は大きなかせとしてついて回り、「あるべき」論を掲げるだけではやっていけません。
あるべき姿をしっかりと想定しつつ、現実の力量との距離を測りながら、その中でいかにできることを措定できるか。少しずつできることを増やし、あるべき姿に近づけることができるか、が問われるのだと言えます。
フィリピンでの事業地選定の実際
アクセスは、現在、フィリピンの都市貧困地区および農村地域で活動しています。
マニラ首都圏の都市貧困地区ではこれまで3か所で活動してきましたが、その選定にあたっては、現地のNGOなどにいくつかの候補地を紹介してもらいながら、何度も訪問し、実態調査を行ないながら、事業地を絞り込んで決めています。
他方、パンパンガ州・ケソン州の農村地域では、個人的な伝手をたどって紹介された地域で実施しています。事前訪問による地誌の調査などはもちろん行いましたが、事業地選定の決め手になったのは現地に信頼できる人がいるかどうかでした。
これらの地域で事業を開始したのはマニラ市トンド地区を除くといずれも1990年代で、フィリピンでの活動の蓄積もまだまだ浅く、農村部では複数の候補を比較したうえで事業地を決めるという手法をとるだけの力がなかったと言えます。